ただ眠いんだ

人生はコメディだ!

「声かけ写真展」への怒り

もう終わってしまったイベントに対してどうこう言っても仕方がないのだけど、それでも書きたい。

声かけ写真展 公式サイト

声かけ写真展 on Strikingly

中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影しただけの写真を集めました
それが、声かけ写真展。

これが公式ホームページに掲載されていた言葉である。

ことの顛末

2016年5月の4-8日にかけて「IID 世田谷ものづくり学校」というワークショップ・展示会が行われるフリースペースで行われた「声かけ写真展」という写真展。
公式ホームページを引用したとおり「中年男性が女子小中学生を撮影した」写真を集めたという展覧会である。

nyalra.hatenablog.com

細かいレポートについてはこの記事を読んでいただくとして、写真を趣味にしている自分には到底信じられない展示・販売までもがされていたようだ。

まあ、女子小中学生の写真だけというコンセプトからして、「うわあ」なのだけど、そこに関しては個々人の趣味である。法に触れない範囲、人に迷惑をかけたり、傷つけないような範囲でやればいい。

カメラを持つ者として

僕は写真を趣味にしている。
さらにかなりのビビりであり、街角で写真を撮るときにも若干びくついている*1、そして風体が怪しまれがちであるということを前提として読んでほしい。

被写体への敬意というのは大切なものだ

街角で写真を撮っていると人が写り込むことは多々ある。それでも人は僕のことをそんなに咎めない。
カメラを構えているだけで明らかな敵意を向けられることはない。写り込まないように避けられることはあるけれど。
写真を撮っている人をみかけてわざわざ「撮らないでください!」なんて言う人はなかなかいない。

街角での写真撮影に対して、だいたいの人は「ちょっとなら写ってもいいか」くらいの心持ちだと思う。
最近であれば、その写真がネットにアップされることも多いと思うのだけど、それでもそんなに過敏になるということはあまりないだろう。

もしも世の中がカメラに対して過敏に反応したとしたら、たぶん写真を撮ることができなくなってしまう。
だからこそ、被写体との距離感・撮影する側の配慮というのは大切だ。

完全に個人のみを撮影するには被写体に許可がいるだろう。写り込んでしまった人に関しては個人を特定できない程度にトリミングなり編集なりをする。ネットにアップしたり人に見せるならなおさらである…
それくらいの配慮は絶対に必要である。

そしてこの配慮というのは、一部の心ない人によっていとも簡単に壊されてしまうことであるということは、いろいろな例を見れば予想できることである。

承諾を得たのか?

ーー少女を撮影する際、承諾を得ていたのか。また、誰の承諾だったのか。
「子供には聞いている。親はケースバイケースだと思う。実際撮った現場に親がいれば、許可を取っていると思う」

 

ーー子供だけの「許可」は「許可」と言えるのだろうか。
「子供だけに承諾を取っていたとしても、子供には自己決定能力が定まっていない、と言われると、取っていないに等しいとみなす方もいるだろう」

世田谷の「声かけ写真展」で少女写真を販売 主催者はアダルトサイト運営も

しっかりした取材が目立つBuzzFeedの記事からの引用である。
どうやら主催者側の言い分では子どもには聞いている…らしい。
本当かなあ。水着写真とかあるらしいんだけど。

しかしこのあと、販売許可を得たのか?との質問に

「写真販売の承諾は得ていない」

という答え。

そして極めつけは

ーー被写体の本人や家族から苦情があったら、どう対応するのか。
「被写体の方の納得される形にします。売るなって言われたら売りませんし、賠償という話になったら、それは応じます」

なんなんだ。本当になんなんだ。やった者勝ちを宣言するとは…
被写体への敬意とか、写真を撮ること・公開することへの覚悟とか、なんにもないのだろう。

レンタルスペース側もよくわかっていない

レンタルスペース側も炎上に発展したことで声明を発表した。

IID 世田谷ものづくり学校を運営・管理する株式会社ものづくり学校では、今回の件を深く受け止め、多くの皆様に不快を与える内容の展示を許可したことに関して、深くお詫び申し上げます。
また、不快な思いをされた方々へ深くお詫び申し上げます。

2016年5月4日〜8日開催された展示「声かけ写真展」につきまして【IID事務局】 | IID 世田谷ものづくり学校

これを「不快」かどうかで謝っちゃうあたりが今回の事案が発生した一因があるとしか思えない。どちらかというと「表現」とか「人権」の問題である。
あと、謝ることになる相手は被写体の人とかじゃないかな。
よくわからないなら変な謝り方をしない方がいい。

なんの覚悟もない主催者と、よくわかっていないレンタルスペースの融合が今回のしょうもないことを生み出したように思える。

レンタルスペースとしてのコンセプトは、いいと思うし、ワークショップなんかもおもしろそうだとは思うのだけど、この対応を見ているとかなり不安である。

「古き良き時代」には幻想が含まれる

少し昔のノスタルジーを感じてみたり、普遍的な子供の世界を楽しんでみたり、現在撮影を楽しんでいる人には制作のあり方に驚きと新しいヒントがあることでしょう。

再び公式ホームページからの引用である。
ノスタルジーという言葉は非常に便利だ。最近では「古き良き、おおらかな時代」という意味合いで使わていると思う。

たしかに、過剰に騒がないというのは素晴らしいことである。ある程度の許容がなければ生きにくいだろう。
しかし、誰かにとっての「古き良き時代」は誰かにとっての「古き悪しき時代」でありうる。

今回のように覚悟もない人達によって写真展であったり、写真のイメージが悪化しないことを切に願いたい。
そのためにはまずは自分がちゃんとやっていくしかないんだろうけど。

*1:特に個人を主の被写体にするようなのは絶対無理