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ただ眠いんだ

When I'm in the middle of a dream...

「行けたら行く」を殺すな

書き散らし 書き散らし-妄言

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よくあるインターネットのおもしろトピックスとして、「『行けたら行く』って言うやつ、絶対来ないよな」というものがある。

どうやら定期的にあちこちのまとめサイトで記事になっているらしく、そこから話題を丸パクリするやつがTwitterに書き込むことによって、何度も何度も何度も何度も「『行けたら行く』って言うやつ、絶対来ないよな」という話が繰り返されているのだ。

どうやらTwitterやまとめサイトで話題になると、今度はネット外での会話に流用する人も多いようで「それ聞いたことあるよ…」と思うこともままあることだ。まあ、それはこちら側がネットジャンキーであるから既視感がある。というだけの話なのだけど。

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さて、本題。

僕は人に誘われたときに「行けたら行く」と言いたいことがたくさんある。僕が「行けたら行く」というときは「余程のことがない限り行く」と言っているつもりだ。しかし、これが最近使いにくい。
だって「絶対に行く」なんて約束はできないじゃないか。自分としてはどうしても行きたくても、その後にさらに重要な予定がぶっ込まれたりする事はあることなのだ。しかも、そのねじ込まれた予定が自分としてはまったく参加したくないものである可能性が非常に高かったりするのだが、どうしても断れないということはあるのだ。

「じゃあ、『余程のことがない限り行く』って言えばいいじゃん」という指摘もあろうが、そっちに言い換えても「どうせ理由をこじつけて来ないんだろ」感はどうしても拭い去れない。困ったものだ。

インターネットで揶揄される「行けたら行く」というのは、誘われたけど乗り気ではない、でも断りにくい…というのを「他の予定があるんで」という理由を使って、「あなたのことは嫌いではないけど…」とお断りするためのワードとなってしまった「行けたら行く」なのだ。「前向きに検討いたします」という意味合いの「行けたら行く」ではなかったはずなのである。
まあ、そもそもそんなことをしなくては誘いを断れない、という関係性がそもそもの間違いの始まりだ。誘いを断りにくいという関係性をまずは見直すべきでは?と思う。「行けたら行く」で断られたら、誘った側が人間関係について考え直すべきだと思うのだ。

「余程のことがない限り行く」というのをちょうどいい温度感で示すことができる「行けたら行く」という言葉に、なんとか復活して欲しいのだ。別に誰かを不快にさせるわけではない言葉を殺すべきではない。
「行けたら行く」はインターネットのおもしろトピックスとして消費され、もはや死に体である。きっと他にも殺された言葉はあるのだと思うが、あんまりそういうことは覚えていない。なにしろ死んでしまったのだから。