読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ただ眠いんだ

When I'm in the middle of a dream...

「普通」である必要性とは

普通
はてな匿名ダイアリーで、少し話題になっていた投稿があった。

anond.hatelabo.jp

内容は「同じ映画を何度も観るって普通じゃない、キモい」というものである。
釣り針がデカくて飲み込めないし、反応したら負けだと思うのだけど、まあいいや。

「普通」についてブログに書くと「普通に生きている人生に価値はない、挑戦こそが人生なんですよ」とか言い出しそうだけどそんなことは全くない。

スポンサーリンク





普通ということ

件の投稿を引用してみよう。

同じ映画を何度も見るって普通じゃないよ

一回見てわからないことがあるならそれでいいじゃん

人に聞くとか評論見るとかでいいじゃん

何度も同じ映画を見るのってホントキモいと思う

たった4行の投稿で大勢にケンカを売る技術はさておいて、僕が気になっているのは1行目で使われている「普通じゃない」という表現である。
1行目と4行目の関連がよく分からないのだけど、たぶん「普通じゃないやつはキモい」というのは増田にとっての前提なんだろう。たぶん。

「はてな匿名ダイアリーに書いている時点で、あなたも世間的な普通からはだいぶ離れてるのでは」と思わなくもないのだけど。

普通のために生きているのか?

これは完全に僕の想像なのだけど、多くの人は普通になるために生きているわけじゃないし、普通になるために趣味を持っているわけではないんじゃないだろうか。

「自分が普通だ」と常に思っている人の方が普通からかけ離れていくし、「普通じゃなく生きたい」と常に思っている人ほど普通の人になったりする傾向があると思う。不思議だ。
そういえば「これが定説です」なんていうカルト教団もあったな。

離れていってもらえるのは悪いことではない

好きなように生きている結果として、増田の言うような「普通」から外れてしまったとしても、それでなにか困るかと言えばそんなことはひとつもない。
それどころか自分の考える「普通」から外れた人に対して「キモい」とか言い出す人が、自分の方から遠ざかっていってくれるのであれば、それは歓迎すべきことなんじゃないだろうか。

「普通」じゃないことは、そんなに悪いことじゃないんじゃないだろうか。