ただ眠いんだ

"人生はコメディだ!"

デジタル時代の写真との付き合い方

ウェブ上に存在する画像というのは一体いくつあるのだろう。
TwitterやFacebookのタイムラインには無数の画像が流れてくる。誰かが誰かを撮った写真であったり、夕飯の画像であったり、スクリーンショットであったり。そういう色々をひっくるめてタイムラインができている。
Instagramに投稿される画像があって、ブログで使われる画像があって、ニュースサイトの画像があって…その数を正確にカウントするなんてもはや誰にもできないし、あまり意味がある行為ではないとも思う。

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スマートフォンで写真を撮ることがどんどん一般的になって、誰かへの共感を求めたり、記録のためであったり、日々無数の画像が生成されているはずなのだけど、その画像は一体どこに行くのだろう。とふと思った。

例えば「4年前の今日、どんな写真を撮りましたか?」と聞かれて該当する写真を持ってこれる人ってどれくらいいるのだろう。
4年も間が空くと、多くの人はスマートフォンを乗り換える。人によっては2回くらい乗り換えていても不思議ではない。
スマートフォンが交換されるとき、画像ファイルは引き継がれているのか?というと疑問だ。
Instagramにアップされた写真はいつまでも保存されているかもしれないけど、それをアーカイブとして利用できるかというとかなりの疑問だ。LINEで共有された写真は?アルバムを作成して写真を共有しても、何年も経てばトークグループ自体が沈んでいくだろう。

スマートフォン時代になって、撮影される画像は明らかに増えている。だけどその中で数年後に見返される写真というのはどれだけ存在しているのだろう。
もちろんフィルム時代の写真がちゃんと見返されているとは思わない。本棚の隅で、押し入れの中で、10年以上顧みられないアルバムなんてザラだろう。
しかしそれであってもまだ、古いスマートフォンに死蔵されている画像よりは将来がある。スマートフォンの電源を入れないまま数年が経過すれば、充電を受け付けなくなり二度と起き上がらないこともあるだろう。

写真の存在感というのが撮影直後のワンタップでの共有で終わっているんじゃないかな。後を引くことはなく、一瞬だけ大きな存在感を残して、すぐに消えてしまう。
楽しかった記憶を一瞬だけ蘇らせて、二度と顧みられることなくスマートフォンと一緒に消えてしまうのではないか。

写真をしっかりとアーカイブしなくてはいけない。と強く思う。このままだとたぶん今を思い出せなくなる。そんな気がする。